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マイケル・ライトマン
真正なカバラの教えを世界中に提供しているブネイ・バルーフ カバラ教育研究所の創設者及び所長。存在論の教授。哲学及びカバラ博士号取得者。メディカル・バイオ・サイバネティックス修士号取得者。三人の子供の父親そして三人の孫の祖父。

「進化」について

木から降りてくるだけでは不十分 ー あなたは自分自身の上に登らなければならない

質問:今日の人々は、今や世界の物事はますます悪くなっていくだけであろうと、理解しています。しかしカバラの教えは、そのような一般大衆から、今もずっと離れたところにあります。私達はこの距離をどうカバーすることができますか? そして何故、そのような距離があるのですか?

答え:それは(カバラを学ぶ)私達と人類に努力する機会を提供するために、そこにあります。
この分離が私達と外部社会とに、お互いに相互作業をすることを可能にします。
この距離はある目的のために創造されました。あなたは自分の知識、認識、理解をここに投入しなければなりません。
それはまるで、自然の発達過程が続くことを阻止しているかの様に見えます。
かつてサルが木々から降りると、それは時の経過とともに原始人となりました。
これに続いて奴隷の時代、中世、そして資本主義時代が来ました。
そして今日この発達は崩壊に終わってしまい、人々は(次には)よい統一が必要であると認識するに至りました。それでは、なぜこの発達は自動的に続かないのでしょうか? 
なぜなら、もし自動的に続くとすれば、人間という存在は決して現れることはなかったでしょう。
それはエゴイズムによって突き動かされ、木々から降りてきた霊長類と同じままだったでしょう。
私達は自分達が完全に自己愛のコントロール下にあることに気づいていません。
もし私が、私達すべてが存在しているこのシステムを見せられたなら、私は自分自身の管理下でしていることは何もないことを見るでしょう。
この状況においては、クリーチャー(創造物・生命)は現れません。誰かをとって、独立性を遮断するフィルターに掛けてみましょう。すると彼には上層の力以外に何も残りません。その上層の力は初めからそこにあったものです。
「どのように人間をつくるのか?」これが問題です。
人間は、暗闇と、僅かな知識と、僅かな力を与えることによってのみ、つくることが可能です。
この僅かな力はその人に、自分の生来の性質に打ち勝つ道を見つける機会を与えます。
そして多くの知識や理解なしでも、その暗闇の外へ彼を連れ出す、(彼の生来の性質とは)反対の力を築く機会を与えます。
それから、彼はクリエイターの必要な部分になりたいと思うようになり、自分自身を喜んでその環境に従属させます。
その環境もまた、彼がそうすることを義務付けるようになります。
そして彼は、この相互的な仕事を通して、超自然的な形態、つまり自分の生来の性質を超えた形態、を獲得することができるようになります。
この形態のことを「人間(アダム)」と呼びます。それは、彼が一匹のサルだった時代からずっと彼の中に残されていたレシモット(情報遺伝子)を使わずに創造した形態です。

ゴール地点のエゴイズム

質問: カバラの科学は、現在の時期について何と言っていますか?この重要な過渡期に、それはどのように私たちを助けることができますか?

答え:私たちは特別な時期に生きています。
私たちの世界は、新しくて内面的で霊的な、私たちの心の中の“人間”の成長段階への上昇の出発点に立っています。
カバラの科学が説明するように、これまで私たちはエゴイズム(利己主義)の衝動に従いながら自然に成長してきました。
社会の変化、家族生活の変化、テクノロジー開発、国と構造の再構築、そして、教育と文化における変化の導入を、利己主義は私たちに強制しました。
私たちは生まれながらの内面的な衝動が引っ張る方向に常に向かっていたのです。
しかし、今日私たちは一定の満足に達しました。
まるで世界は喜びを私たちにもたらすのをやめているかのようです。
それはもはや私たちを経済的に満足させません:私たちはある障壁が私たちの前進を阻んでいると感じます。
輸出と輸入における無限の成長と、無限の技術能力と生産能力を伴う消費者社会についてのアメリカの理論は底を尽きました。
さらに、私たちは下降傾向つまり衰退に移行しました。経済学者によると、それは長期に渡るだろうとし、誰もそれがいつ終わるのか知りません。
今日私たちがカバラの科学を理解するに、カバラの科学は危機が決して終わらないことを告げています。
私たちは、現発展段階で、私たちの利己主義に対しひどい苦悩を引き起こしている人間を取り巻く自然の潜在能力だけでなく、私たちの利己主義そのものも認識しました。
その結果、人間開発、社会的発展、教育、そして、エコロジーの分野が崩壊寸前なのです。
この状況下において、私たちは何が私たちに起こったのか考える必要があります。
私たちはこのように続けることを望んでいるのでしょうか?
私たちは明らかに私たちの目的と目標におけるミスを犯し、文字通り私たち自身を破滅したのです。
私たちは消費を増やして、環境を破壊することを望んでいるのでしょうか?
私たちは「機械の」レースで身動きがとれなくなりたいのでしょうか?
製造された商品をほとんど使わずして、私たちは新しいものを買うために、それらを捨てます。
そして、これが私たちの人生なのです。
私たちは富や名誉や権力の似たようなゲームで私たち自身の存在を満たしたいのでしょうか?
人生の意味とは、携帯機器やその他の消費の象徴を毎月買い換えることにあるのでしょうか?
今日私たちが経験している過程は、私たちのペースを落とさせて、反省するよう要求しています。
明らかに自然の中には、組み込まれた異なるプログラムがあり、私たちはそれを調べなければなりません。
普遍的な知恵、全体的なバランス、ホメオスタシス(恒常性)は、まだ人間の外側に留まったままです。
自然にとって人間とは、異質な要素、つまりガン腫瘍であり、その環境とそれ自身をむさぼっているのです。私たちが自然の中で発見する、
私たちは人間の社会を破壊し、私たち自身と私たちの子供たちをだめにし、すべてを歪めながら、私たち自身に正しい存在の機会を残していません。
私たちが「脇から」世界を見るならば、人々は盲目のようであり、自殺的な道に沿って進んでいます。
彼らは、彼ら自身、子供たち、社会、そして将来を破壊するために権力獲得競争をし続けており、このことに気付いていません。
こういった理由から、私たちは危機に瀕しているのです。
しかし実際には、これは危機ではなく救済です。今日私たちが構築したすべてのシステムが崩壊しているときに、私たちは真実の核心へと導く、明らかな兆しを得ます。ついに私たちは、人生に対する態度を根本的に改めること以外に選択肢がないことを、目にすることができるのです。
自滅(つまり政治家、経済学者、そして実際、人類の大部分が未だに欲しているもの)へと転がり落ち続ける代わりに、異なる方向に進むために、何が起きているのか既に分かっているすべての人々、コミュニティ、そして組織は、世界と自然に対する新しいアプローチを一緒に考え出さなければなりません。

新しい要求の為の新しい充足

現代の人はこの世界の全ての快適さを得ていますが、私達は依然として満足していません-実際、以前よりももっとそうです。
過去では、もし人が毎日、ひと塊のパンを得たなら、彼はそれ以上何も夢見ることができませんでした。
それに比べ、現代の人が必要とするあらゆる物を見てください。
けれども、その人は満足しているでしょうか?いいえ!そして誰もが皆尋ねているのです:何故だと。
充足は通常の人間のレベルでは見つかりません。
そして私達が得るあらゆる新しいおもちゃはその助けになりません。
私達は“物”で自分たち自身を酔わせたいのですが、私達の中で湧き上がる虚無感(むなしさ)は全く異なる場所から来るのです-それは私達のクリエーターとの類似の欠落からくる欠乏です。
その為、私達はクリエーターを感じること以外でしかそれを充足することが出来ないのです!
この虚無感は徐々に私達の中で形成されていき、“爆発”する為に特定の度合いまで蓄積されていきます。
その時になって人は、もはやその虚無感を抑える事が出来ないと悟るのです。
彼はそれを満たさなければなりません。
さもなければ彼の人生は死よりも悪いと思われるからです。
この欲求の充足をこの世界で見つけることは不可能です。何故ならそれは上層世界、クリエーターを明らかにする欲求であるからです!
それにもかかわらず、身体の防衛力は私達に、自分たち自身を惑わす方法を探すように強いてきます。
人々は麻薬、酒を使用したり、または中身のない流行の物や旅行で人生を満たします。
このようにして、まるでダチョウのように、私達は問題から逃れる為に頭を砂の中に隠すのです。
私達のエゴの防衛力はこのように働き、それ自身にそれが満たされていると証明し、決して満たされることのできない虚無感を包み隠すことを望んでいるのです。
なぜ決して得る事の出来ないものに対し考えを巡らせ、自分達の人生を台無しにする必要があるのだと言わんばかりに。
しかし、これは長く続きません!今のところ、私達は“人間”レベルでの欲求不満を感じるのを避ける為に“動物的”レベルにおいて自分達を惑わすことが出来ています。
しかし、その覆い隠しが破裂することは避けられません。
歴史の異なる時期において同様の状態が革命、戦争、そして劇的で悲劇的な解決策をもたらしました。
私達の場合において、解決策がそのように残酷にならない事を願いましょう。
私達の場合、私達の世界のレベル、“動物”の段階から、上層世界のレベル、アダム、又はクリエーターのレベルへと上昇しなければならないのです。
これは私達の力の範囲外であり、人類はそれ自体の無力さに気を狂わせ始めているのです。
私達の利己的なレベルでは、革命、戦争、新しい政体、又は宗教、そして本の印刷、蒸気エンジン、インターネットなど、一段階から次へと新たなテクノロジーによって上昇する事が可能でした。
この全ては一定の期間充足を与えましたが、今エゴイズムはそれ自身を消耗し切っており、クリエーターを明らかにする欲求はまさに霊的な充足を要求しているのです。
私達は新しい内なる欲求を明らかにしています:それは私達をコントロールする「者」を明らかにすることです。

授与への道の、心理的な障壁

スピリチュアルの目標を目指す道には、心理的な障壁があります。
もし私が授与を獲得したいのであれば、私は授与の仕方、それ以外のことを尋ねてはなりません。
尚又、これは自分のエゴイスティックな思考と願望で定義された授与ではありません。
つまり、私は自分の現在の理解力の内から何かを要求することは出来ないのです;それは本当の授与と霊的状態の正反対となるからです。
私が霊的状態へ移行し、霊的な特性を受理してのみ、私は新しい思考と、新しいハートでそこを調査し始めることが出来るのです。
そうしたら、私は授与の願望の内で感じ、理解するのです。
私は単純に、授与のことを自分の利己的な願望の中からでは知ることが出来ないのです;それは無理です。
実際に、霊性に入る第一の段階を“Machsomを渡る”(マクソム:霊的世界の前にある障壁)と呼ぶのは、正にこの理由からです。
授与の性質の認識は、現在私の願望の中で起こっていることから全く切り離されていています。
それなので、私が授与の性質を要求することは、理性を超えている(自分の現在の理解力を超える)のです。
私はただ、この特性を、それの意味を分からなくても、どうしたら受け取れるのかを知りたいのです。
現在、私はそれとの繋がりが全くありません、接点もなければそれを試す能力もありません。
私は単にそれを、どのような形態であっても、上層から与えられるがままに受け取るのです。
そのような態度は真面目で、発達した、知性のある人に相応しくないと思われますが、しかしながら、それは全くの反対です。
高度な知覚力、思考を持ち、私たちが体験するする全てのプロセスを会得している者たちは、自分のエゴイズムを調査し、私たちがそれに、どれだけ完全に制御され、奴隷にされているのかを分かっています。
彼らは、自分たちの現在の願望と利己的な、制限された認識力と知力を切り離し、それを超越する以外に選択はないと理解しているのです。
そのため、レッスンの間、私は光が自分に作用することだけを求めるのです。
それが私に何をするのかは構いません。
私はまるで、何も理解しないで母親の腕の中に横たわり、彼女に完全に身を任せる幼児のようなのです。
私は、このような上層の者への献身と無効を成し遂げなければいけません。“私を治して!”私は懇願します。これ以外、私は何も頼みません。

世界を反転させる心理的変化

私が受けた質問:なぜバール・ハスラムは、授与への移行は単なる心理的な問題だと書くのですか?そうならば、なぜこれはそんなに難しいことなのですか?

私の答え:心理的な問題とは、全ての出来事が、あなたへの意図的な外部的影響として関与することから成ります。
その後、全ての世界は私たちのために繋がり合います。とはいえ、今のところ、それは私たちに心理的な問題を提出します。
私たちは、自分たちから少し引き離れる努力する必要があります。
まるで自分たちのことを脇から観察し、分析するように(酔っ払いはこれに似た複視の体験をします)。
私たちは絶え間なく自分たちを分析し、私たちの心、思考、人生全般で起こる全てをクリエーターが充足、制御して、私たちと遊んでいるのだと言うべきなのです。
“私”は私でなく、“彼”のゲームで、私はそれを自分で見ているのです。
私はそうせざるをえないのです。私は完全に“彼”が自分に与える、内部的な充足に突き動かされています。
しかしながら、“彼”は私に、自分を観察でき、“全て自分の考えること、感じることは彼からくる”と言うことができる、追加の点を与えました。

質問の続き:人はどうやってこの状態を乗り越えられますか?

私の答え:あなたは“彼”に自分の本質を変えることを要求する必要があります。
クリエーターは常時あなたに特別な外部的状況を与えます。
あなたは“彼”にあなたの中の状況(あなたの性質)を変えるように求め、それらを外部のと(クリエーターの性質)調和をもたらすようにするのです。
私たちが特定の、耐えることができない外部的状況の場に踏み入ったと 想定してください。
普通、このケースの場合、私たちは自分たちの都合に合うよう、外部的状況を変えたいと望むでしょう。
しかしながら、“心理的変化”とは外部的状況を変えるのではなく、外部性は変えられないのだから、自分たちを外部的状況に合わせ、私たち自身を変える必要があると理解することです。
私たちは新しい環境と似通うように自分らを変えることができ、そしたらその中に落ち着きを感じられるのです。これは心理的な変化で、今日、人類が経験している変化への新しいアプローチなのです。
今でも、ずっとそうであったように、私たちは自分たちを囲む自然を変えることを望み、世界を私たちの理解に従って整えようとしています。
しかし、私たちは違うプログラムを開始しており、この世界(これら全てを整えたクリエーター)は私たちにクリエーターの方向へと自分たちを変化させることを要求してきているのです。
新しい状況が私の周りで現れてきています:暗闇が世界にやってきて、全ては収縮、混乱していき、不透明、そして恐ろしくなっていきます。
しかし、自分の周りの世界が変わることを望むのではなく、私は自分が変わることを求めなければいけません。

地球の道に沿った前進

世界は均衡に至らなくてはなりません。その後にしかそれは静止するようになりません。
長い歴史の間ずっと私達はエゴイズムが増大する理由から発展することを強いられてきました。
このエゴイズムの増大が私達に苦痛を与えるほどの不満足を生じさせています。
しかし私達はこの発展の最終段階に突入したことにより、自分達が相互連結と相互依存していることを自覚するまでになりました。
私達のさらなる存続は、相互利益的な人類の共存にかかっています。
さもなければ私達の人生は憎しみあっている家族のなかで暮らすようなことになります。
そうであってもなお最後には良い関係状態を獲得しなくてはなりません。
カバラはお互いに対する関係をどう利己的なものから利他的なものに変えていくのかということを教える特定な目的で使われるように意図されたものです。
私達が苦しみや不慮の災害を経験し変わることを強制されることをなく、もっと簡単に時間をかけずに自発的に変化できるように。
だから苦難の道(利己的)と善い道(利他的)があるのです。
しかし私達の人生では、ほぼ間違いなく両方の道をたどって前進することになるでしょう。
それは地球の道と呼ばれる中間の道です。

エゴイズムのブラックホールの中への最後の転落

受取った質問:どうすれば現在の危機に直面している人が、それは霊的に上昇する転換期であって終わりのない危機の深刻化ではないと理解することができますか?

私の答え:創造のすべては“ひかり”(喜び、授与のエネルギー)と“うつわ”(“ひかり”で満たされたいという願望)から構成されています。
“ひかり”は私達の利己的な願望をその最終段階にまで発達させ、願望は“ひかり”によって直接的に満たされることがもう不可能になったと感じるようになります。
その理由は喜びが願望を打ち消してしまうからです。
例えると、喉が渇いているときに水を飲んだとき、その喜びが水を欲する願望が満たされることによってなくなるということです。
現在の危機は私達の利己的な発達が終わりにきたことを示しています。
私達は“ひかり”を自分達のエゴイズムに奉仕さようと使い続けることができなくなりました。
言い換えると、私達は自分のエゴが満たされなくなったことに気づきつつあるということです。
そして私達は未だに欲望を満たそうと自分のエゴイズムに突き動かされながら、心の中ではそれが無駄なことであると気がついているのです。
しかしながら私達は充足がないと生きていくことは不可能です。
よって私達は自分のエゴの命令に従うざるを得えません。
たとえ自分の意に反してそうしているのだとしてもです。
私達は好きでそうしている訳ではありませんが、自分のいる環境の影響がそれを余儀なくさせています。
私達は自分の意に反してそうすることを余儀なくされ、惨めで暗い気持ちになります。
これは麻薬や酒などに溺れることの原因にもなっています。
実際これは人生の全側面における危機を招いています。
結局のところ私達の人生は“ひかり”を使うことで自分の利己的な欲望を満たすことをベースにしています。
願望が“ひかり”の影響によって発達していた期間、私達は発達することを切望していました。
私達は新たな渇きをいやすことによって充足されるとずっと信じてきました。
そしてこの嘘は私達の発達を促進させてきました。
しかし願望の利己的な発達が止まるやいなや、私達はそれが空っぽであることに気がつきました。
このやり方で充足を得ることは不可能であると“ひかり”は私達に啓示しています。
これが私達の呼ぶ危機というものです。
よって私達は自分達を誤った方向に導くことを止め、その代わりに人生を感じさせる唯一の方法は“ひかり”の特質 – 与えようとすることと愛そうとすることの意向・意図・決意 – を自分のものにすることしかないと理解しなくてはなりません。
私達の地上での発展は終焉を迎えました。
そしてその証明として多くの工場は閉鎖されています。
なぜなら役に立たない余計な商品はもう必要なくなったからです。
ヨットの大きさや銀行預金残高の桁数が羨望の的ではなくなったのです。
人々はこの世界で自分に喜びを与えてくれるものがもう見つけられなくなりました。
結局のところ、どんな星も明るさに関係なくいつかは薄暗くなります。
そしてエゴイズムの最終段階というブラックホールのなかに吸い込まれながら私達も衰えつつあります。
このエゴイズムは何もかもを飲み込み、なにもそれから逃がれることはできません。
そのなかには暗闇だけがあるのです。
カバラの英知を広めることだけが私達に自分の性質を改善する能力を与えます。「
そして暗闇は“ひかり”のように輝くだろう。」と記されているように。

全進化は上層の意識段階を獲得させることに向かっている

私達はただ自然の指示に従っています。そして自然の目的とは私達を上層の発達段階に至らせることです。
自然はその最高段階である人間を最高の発達段階に至らせるように意図されたプログラムに従って働きます。
タンパク質の塊である人間は、無生物、植物、動物という発達段階の最終段階です。
これは、この“動物”が自分が誰で、何であるのか、なぜ存在するのか、そして何処から来たのか、ということに対する感覚と理解を獲得しなくてはならないことを意味します。
私達の進化のすべてはこれに向けられています。
これこそが、人間の全歴史のなか、ビッグバンから始まりこの世界の終わりまで、なぜ私達が自然とそのプログラムを把握するために、本当の現実の認識と本当の理解および知識を獲得しようと無意識に切望するのかということの理由です。
私達の全発達と人生の全瞬間はこの目的に捧げられています。
私達の食べること、飲むこと、働くこと、誰かとコミュニケーションをとること、又はその他をすること、意識的または無意識に関係なく私のすること全て、そして自分の体のなかの全てのプロセス、その全ての物質、その全ての電子、分子、粒子、そして臓器、そしてその全ての段階 – 無生物、植物、動物 – 全てのものはこの1つの目的に向けられており、その為に生き、そして存在しています。
その目的とは上層の意識段階を獲得することです。したがって、進化の全てと私達の自然的発達における道の全ては、自然の最高発達段階を人間に獲得させるために決定されています。
獲得(達成・到達)の意味とは、自然の全部を満たし吸収し組み入れる“力”と同等になるという私達の運命を認識しながら、私達が自然の全てについて理解し、そのプログラムを守り、私達自身でそれを遂行することです。
これが、私達の現在直面している危機がなぜ世界規模であるのかということの理由です。
危機は私達が到達しなければならない上層状態から私達に来ており、その上層状態の反対側を私達に示しています。
危機は、私達がこの世界危機を是正すれば偉大な完全性に到達できるということを示しながら、未来の正しい状態が粉々に打ち砕かれているということを私達に見せてくれているのです。

天地創造:創世記とビッグバンの和解

受け取った質問:私は教師をしています。そして今“天地創造”の題材をカバーしており、聖書冒頭に書かれている“創世記”についてのディスカッションを丁度終えた所です。
そしてこれからビッグバンについて話し始めようとしています。
どうすれば5600年前の天地創造と数十億年前に起きたビッグバンの明らかな矛盾を説明できますか。

私の答え:ビッグバンは140億年前に起こりました。
その原因は上層の光の微小な火花(スパーク)によるものです。
その火花が一番低い段階にまで達しエゴイズムに包み隠されるようになったのです。
この火花には私達の世界の物質とエネルギーの全てが含まれていました。
それが後にこの宇宙全体にまで発達したです。
その後、約40億年前に私達の惑星(地球)が粒子の凝縮によって誕生しました。
それは数十億年間かけ冷え、そして大気と生命が生成しました。
これは偶然の一致では全くありません。
全ての出来事と活動は最初の光の火花に含まれていた情報が実現化したことです。
次に発生したのが自然段階としての無生物と植物です。
その後に来たのが自然段階としての動物、そして人間です。各種の発生原因が光の火花に最初に植え付けられていた情報ということを除いては、ダーウィンが説明したように全ては連続して起きたことです。
この火花の中には最初から私達の宇宙全体についての全情報が含まれていました。
しかしながら、私達は生物の種の外面的発生しか観察できないために進化を誤って解釈をし、実際には情報の遺伝子(Reshimot)に起因していることなのに、1種が別のもう1種から生まれたと考えているのです。
Ariが『生命の木』で記したように、人間は数十万年前に類人猿から発生しました(『Talmud Eser Sefirot』の第3部をご覧下さい)。
しかしながら、5769年前、創造主に到達したことを意味する最初の人間(The first Man)はアダムでした。彼の名は“創造主に似ている”ということを意味するEdameという言葉に由来しています。
私達(イルラエル人)は、私達の年表が始まるこの日付を新年として祝っています。
その理由は、その日付から6000年以内に全ての人が創造主の段階に到達しなくてはならないからです。
それはエゴイズムの完全な是正のことです。

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